【ベトナム】
ベトナムで急拡大するピックルボール市場
~スポーツから消費、ビジネス交流へ広がる新たなブーム~
公開日:2026.09.29
はじめに
ベトナムに赴任してから、「ピックルボール」という言葉を耳にする機会が急に増えた。街中を移動していても、以前は空き地や別のスポーツ施設だった場所にピックルボールコートができていたり、仕事終わりにラケットを持ってコートへ向かう人を見かけたりする。日本でも徐々に浸透してきているが、ベトナムでは友人同士だけでなく、会社の同僚や経営者同士の交流にも使われ始めている。
ピックルボールは、テニス、バドミントン、卓球の要素を組み合わせた米国発祥のラケットスポーツで、ベトナムには2018年頃から紹介されていた。本格的なブームとなったのは2024年頃からで、その後わずか数年でプレーヤーやコートが急増し、ラケットなどの関連用品にも大きな需要が生まれている。
本稿では、なぜこれほど短期間でピックルボールがベトナムに浸透したのか、そしてそのブームがスポーツの枠を越え、どのようなビジネスへ広がっているのかを整理してみたい。
わずか数年で1,600万人? 急拡大する競技人口とコート
アジアでプロツアーなどを展開するピックルボール団体“UPA Asia”と、英国発祥の国際的な市場調査会社“YouGov”が実施した調査によると、ベトナムで月1回以上ピックルボールをプレーする人口は約1,600万人と推計され、アジアでも有数の規模となっている。
さらに興味深いのが、その「浸透度」である。ベトナムにおけるピックルボールの認知率は88%で、調査対象となったアジア12市場の中で最も高い。また、プレー経験者の割合も37%に達しており、現在の人気の高さが数字からもうかがえる。
その勢いをより分かりやすく示しているのが、コートの増加である。2024年にブームが本格化すると、ハノイでは同年1~7月だけで200面超のコートが新設された。ホーチミン市でもコートの新設が相次いでおり、都市部を中心にプレー環境が急速に整備されている。
需要が生まれると、すぐに企業や個人投資家が参入してコートを整備する。プレーできる場所が増えれば、さらに参加者が増える。「ブーム→投資→コート増加→競技人口増加」という循環が極めて短期間で形成された点にも、ベトナム市場のスピード感が表れている。
普及の背景
ピックルボールがここまで急速に普及した背景には、「始めやすさ」と「人とのつながり」があるように感じる。
UPA AsiaとYouGovの調査では、プレーする理由として「楽しい」が35%、「健康のため」が33%、「習得しやすい」が31%を占める。また、ベトナムではプレーヤーの28%がテニス、バドミントン、卓球など既存のラケットスポーツから移行したとの分析もある。バドミントンや卓球が以前から身近なベトナムにとって、ピックルボールは全く未知のスポーツではなく、比較的受け入れやすい競技だったと考えられる。
もう一つ特徴的なのが、競技そのものと同じくらい「交流」が重視されている点である。同調査では27%が「新しい友人をつくること」をプレー理由として挙げている。コートが比較的小さく、初心者でも短時間でラリーを楽しみやすい。ダブルスなら4人でプレーし、組み合わせを変えれば短時間で多くの人と交流できる。
私自身、現地での雑談の中で「ピックルボールはやっていますか」と聞かれることも増えた。こうした何気ない会話からも、ピックルボールが単なるスポーツではなく、共通の話題や新しい交流のきっかけになっていることを感じる。ここにSNS文化も重なる。FacebookやTikTokで友人のプレーを見る、自分も始める、ラケットやウェアを購入し、今度は自分が投稿する。それを見た別の友人が興味を持つ。「見る→始める→投稿する→また広がる」という循環が生まれやすい。
健康のためのスポーツであると同時に、「人と会う場所」「新しいコミュニティに入る場所」になっていることが、ベトナムで急速に広がった大きな理由の一つではないだろうか。
1兆VND(約60億円)目前の消費市場から、企業の交流の場へ
競技人口の増加は、そのまま大きな消費市場を生み出している。
市場データ分析会社Metricによると、2025年1~10月、ベトナムの主要ECプラットフォームにおけるピックルボール関連商品の売上は1兆VND(約60億円)近くに達した。このうちラケットだけで約140万本、約4,000億VND(約24億円)が販売され、売上額は前年同期比689%増となった。ラケットの販売数量も前年同期比795%増となり、関連商品を販売する店舗数は前年から約2倍の1,683店まで増加した。
わずか数年前までほとんど市場が存在しなかったスポーツが、短期間で約60億円規模のEC消費を生み出したことになる。そして、このブームに反応しているのはラケットメーカーや消費者だけではない。
ビンズン新都市では2025年8月、ベカメックス東急が運営するSORA gardens Linksに、屋根付き6面の「TOTO NEOREST Pickleball Court」が開業した。TOTO Vietnamが3年間のネーミングライツ(命名権)を取得し、更衣室やシャワー、トイレ等の設備改修も支援している。開業時には交流試合も開催されており、日系企業が急速に広がるスポーツを新たな顧客接点として活用している点は興味深い。
さらに、ピックルボールは「企業が消費者とつながる場」から「企業同士がつながる場」へと広がり始めている。
ホーチミン市では、日本人とベトナム人の交流を目的としたピックルボールイベントも定期的に開催されている。2026年3月に開催された「Vietnam–Japan Pickleball Friendly Cup」には104人が参加し、このうち日本人39人、ベトナム人63人が参加した。単にスポーツを楽しむだけでなく、日越間の人的交流やビジネス上のネットワークを広げる機会としても活用されている。
ホーチミン市中小企業協会(HCM-SME)も企業・経営者向けのピックルボール大会を開催しており、2026年には第4回を迎えた。同協会も、大会を企業間の交流や協力関係の拡大につなげる場として位置付けている。
このように、ピックルボールは「企業が消費者とつながる場」から、「企業同士、さらには国籍を越えて人と人がつながる場」へと広がり始めている。
ダナンでWorld Cup開催
ベトナムにおけるブームを象徴するイベントが、2026年8月30日~9月6日にダナンで開催された「Heineken Pickleball World Cup 2026」である。
大会はダナン市内の複数の会場で8日間にわたり開催され、80カ国・地域を超える国々から約5,000人の選手が参加した。
2023年頃には一部の愛好家を中心に楽しまれていたスポーツが、わずか数年で世界各国から数千人を呼び込む国際大会へと発展した。ピックルボールは、用品販売やコート運営にとどまらず、企業スポンサー、ビジネス交流、さらにはスポーツツーリズムへと市場を広げているのである。
おわりに
ベトナムのピックルボールブームを調査して私が最も興味深いと感じたのは、スポーツそのもの以上に、市場が形成される「速さ」である。
ピックルボールは、わずか数年で「新しいスポーツ」から、用品市場、コートビジネス、企業マーケティング、ビジネス交流、国際大会へと裾野を広げてきた。
この急拡大の過程そのものが、現在のベトナム市場が持つ「変化の速さ」を象徴しているのかもしれない。
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