増加が続く人件費に対して半数以上が負担あり
~負担軽減に向けて原資確保への取り組みを~
−人件費増加が県内企業に与える影響と対応に関する調査−
公開日:2025.09.22
2025年4月号では、今春闘で県内企業の約8割が賃上げを予定し、その要因は依然として人材確保などの防衛的側面が強いという調査結果をお伝えした。賃上げ機運は着実に高まっているが、企業にとって人件費をめぐる環境は、春闘だけでなく最低賃金引き上げや社会保険適用拡大など、ますます厳しさを増している。そこで、本レポートでは、今後も増加が予想される人件費の影響について県内企業を対象に実施したアンケートから、現状と対応していくうえでの課題を明らかにする。
INDEX
法人企業統計にみる人件費の推移
増加傾向にある中小企業の人件費
財務省「法人企業統計」をもとに、賃上げが本格化し始めた2022年以降の人件費(従業員給与+役員給与+福利厚生費)推移を資本金別でみると、対前年比は「1千万円以上1億円未満」(以下「中小企業」)が「10億円以上」(以下「大企業」)を上回っており、特に2024年はより顕著である(図表-1)。
高水準が続く中小企業の労働分配率
同統計から、企業が生み出す付加価値(営業利益+減価償却費+人件費)が人件費に回る割合を示す「労働分配率」(=人件費/付加価値)の推移をみると、中小企業では80%近い高水準のまま横ばいが続いており、人件費増加に対して付加価値が追いついていない(図表-2)。昨今の賃上げ環境下であっても労働分配率が低下傾向にある大企業と比べて、中小企業では人手不足等を背景に収益力の回復以上に人件費を負担せざるを得ない実態がうかがえる。
増加見通しが続く人件費
最低賃金の引き上げ
A.全国加重平均目標「1,500円」
日本の最低賃金は、2012年に発足した第二次安倍政権以降、賃金全体の底上げを目指して全国加重平均を1,000円とする数値目標が盛り込まれた。コロナ下では小幅引き上げにとどまったが、2023年に当時の岸田首相の強い意を受けて全国加重平均が1,004円となり目標は達成された。その後、同年11月には「2030年代半ばまでに全国加重平均1,500円を目指す」としたが、2024年9月の自民党総裁選で石破総理は「2020年代に全国平均1,500円」という目標を掲げ、達成時期が前倒しされた。
B.5年後の愛媛の最低賃金は1,360円の見込み
2024年の最低賃金の全国加重平均1,055円を2029年に1,500円とするためには、今後5年間の平均引き上げ率を7.3%程度にする必要がある。愛媛は、2024年の改正で対前年比6.58%増と時給表示に統一された2002年以降で最大の引き上げ幅を記録したが、それ以上の引き上げを続けることになる。仮に、対前年比7.3%増を5年間続けた場合、2029年の愛媛の最低賃金は1,360円となる見込みである(図表-3)。
社会保険適用対象の拡大
近年、社会保障制度の財政悪化が深刻化しており、制度の持続可能性が課題となっている。そこで、働く人の負担を分散し、制度の安定性を確保するために、社会保険適用対象の拡大が検討・実施されてきた。直近では、2024年10月から従業員数51名以上の事業所に拡大されている(図表-4)。
一方、2024年夏の衆議院選挙をきっかけに、労働者の手取りを増やすための「年収の壁」見直し議論も進む。まず3月31日に成立した税制改正関連法案では、所得税が課税され始める年収「103万円の壁」は160万円に引き上げられる。また、社会保険の加入義務が発生する「106万円の壁」は、企業規模や賃金の要件緩和に向けた改革案が示された。さらに、第3号被保険者制度についても、現時点で具体的な改革案は出されていないが、就労機会創出の方向性で見直しが進むものと予想される。
こうした一連の動きが足元での人手不足に与える影響は不透明だが、企業は賃金と社会保険料の両面で継続的な人件費負担の増加に対応する必要がある。
人件費増加に関するアンケート結果
引き上げが続く最低賃金ならびに社会保険適用対象の拡大について、県内企業の現状と対応するうえでの課題を把握するため、アンケートを実施した。
最低賃金
A.最近の引き上げには約7割が「負担あり」
【全体】 足元で続く最低賃金の大幅な引き上げについて、全体の65.9%が「負担あり」(「大いに負担」+「やや負担」、以下同)と回答し、「負担なし」(「あまり負担ではない」+「全く負担ではない」、以下同)は33.3%にとどまる(図表-5)。
【賃上げ見通し別】 2025年度賃上げ見通し別にみると、「増額」(賃上げ)予定の企業は「負担なし」の割合が35.4%と比較的高くなった。一方で、「据え置き」「未定」とした企業ほど「負担あり」の割合が高くなる傾向がみられ、賃上げへの息切れ感がうかがえる(図表-6)。
B. 全国加重平均目標1,500円へは約4割が「対応できない」見通し
政府が目標とする最低賃金の全国加重平均1,500円を達成するために、愛媛の最低賃金が2029年まで毎年7.3%ずつ引き上がっていく場合の見通しを尋ねた。
【全体】 全体の41.3%が「対応できない」(「どちらかといえば対応できないと思う」+「対応できないと思う」、以下同)と回答した一方、「対応できる」(「対応できると思う」+「どちらかといえば対応できると思う」、以下同)は37.5%と大きな差はみられなかった(図表-7)。
【賃上げ見通し別】 賃上げ見通し別でみると、「据え置き」「未定」とした企業ほど「対応できる」の割合に低下傾向がみられた。定例給与と最低賃金がともに上昇していくことの厳しさがうかがえ、今後の継続性が懸念される(図表-8)。
C. 全国加重平均目標に対応できない理由は「業績が追いつかない」
【全体】 「業績が追いつかない」が72.2%で最も高く、企業からみて業績見通しを上回る目標設定となっている可能性がうかがえる(図表-9)。
【賃上げ見通し別】 賃上げ見通し別でみても「業績が追いつかない」が最も高いが、特に「据え置き」とした企業ではその傾向がより強い。また、「据え置き」の企業では「利益を人件費だけには回せない」の割合も高く、限られた利益の中から人件費の原資を捻出する難しさが賃上げ判断にも影響した結果と考える(図表-10)。
社会保険適用対象の拡大には約6割が「負担あり」
【全体】 全体の62.4%が「負担あり」と回答し、「負担なし」は37.0%となった(図表-11)。社会保険料の増加も企業にとって大きな負担となっている。
【賃上げ見通し別】 賃上げ見通し別では、「据え置き」予定の企業で「負担あり」との回答が70.6%となり、全体(62.4%)を上回る。賃金を据え置かざるを得ない要因として、最低賃金の動向に加え社会保険料の負担も影響しているようだ(図表-12)。
負担別にみた人件費増加に対する不安・対応策・期待する支援
ここまでの結果から、賃上げ見通しを「据え置き」とした企業を中心に、人件費増加に対して息切れ感がみられる。そこで、今後の不安や懸念、対応策と期待する支援策について負担の有無別に傾向を探った。
A.不安・懸念
「負担あり」の企業は業績面に不安(図表-13)
負担の有無にかかわらず、「企業収益の圧迫」が最も高く、「負担あり」では8割を超える。また、「価格転嫁した場合の顧客離れ」「資金繰り」では「負担なし」の企業を10ポイント以上上回るなど、対応の難しさが業績面への不安をより大きくし、負担感にもつながっていると考える。一方、「負担なし」と回答した企業では、「より高い地域・企業への人材流出」の割合が5割近くを占める。また、ある小売業者からは「最低賃金の引き上げが続けばフルタイム労働にメリットを感じない社員が短時間勤務を選択し、結果的に労働力不足に陥る」との声があった。自社が引き上げると同時に、周辺他県や同業他社も同様の大幅引き上げが見込まれるため、さらなる人材獲得競争や働き控えを懸念しているようだ。仮に業績面への負担がなくても、人材面の観点からは決して安心できない状況であることがうかがえる。"
B.今後の対応策
「負担あり」の企業では目先の原資確保とコスト削減を重視(図表-14)
「価格転嫁・値上げ」が最も高く、共通した取り組みといえる。特に「負担あり」と回答した企業では「負担なし」の企業を10ポイント近く上回って6割を超えており、価格転嫁による原資確保を重視する姿勢がみられる。一方、「負担なし」と回答した企業では、「商品・サービスの高付加価値化」「省力化投資・DX推進」など生産性向上への取り組み姿勢が「負担あり」の企業と比べて高くなった。また、「負担あり」の企業では、割合は小さいが「事業の見直し・縮小」「従業員数の削減」が「負担なし」と回答した企業を上回る。負担の有無によって目先の原資確保とコスト削減への取り組みに差がみられ、人件費増加が業績面に与える不安の大きさを反映した結果と考える。
C.期待する支援策
直接的な原資確保への支援を期待(図表-15)
負担の有無にかかわらず、「賃上げ促進支援や財政的支援の拡充」が最も高い。また、「負担あり」と回答した企業では、社会保険料の負担軽減と価格転嫁のほか、割合は小さいが生産性の向上のなかでも「新商品開発・新事業展開の支援」が「負担なし」の企業を上回っている。原資確保に加えて、売上増加への効果が高い支援を望む傾向がみられた。
調査結果のまとめと今後の方向性
人件費の原資確保が最優先
今回の結果では、人件費増加に対して多くの県内企業が負担を感じ、将来の業績や収益への不安もみられる。現在の人手不足の環境下で、収益以上の人件費負担を強いられていることが要因と考えるが、持続性の観点からは人件費の原資確保が最優先の課題といえる。
企業に求められる価格転嫁の取り組み
今後の対応策として、「価格転嫁・値上げ」が最も多かったように、企業自身も原資確保の必要性は認識しているが、人件費の増加分だけを転嫁したのでは企業の余力は変わらない。価格転嫁によって安定的かつ持続的に原資確保するうえでは、顧客に対する新サービスや新機能などの経済的価値、またはブランド力強化などの情緒的価値を高め、販売価格に適正に反映させる必要がある。その実現には、省力化やDX推進、リスキリングなど長期的な視点に立った生産性向上への取り組みも欠かせない。足元で負担がある企業には、まず原資確保に取り組むことで基礎的な経営力を高めながら、生産性向上による収益力強化を目指すことが求められる。
【参考】支援策の活用
人件費の原資確保は、企業努力を基本としながらも、特に負担ある企業の支援策への期待の高さをみると、企業の取り組みにも限界がある。そのため、企業努力を後押しするような支援策の活用も選択肢の1つである。愛媛県の価格転嫁支援と松山市による賃上げ応援奨励金について、導入の背景と活用方法を担当者に聞いた。"
愛媛県経済労働部 経営支援局 経営支援課 係長 / 梅木 邦加 氏、主事 / 伊藤 荘志 氏
【価格転嫁支援ツール等について】
▶価格交渉に際しては、自社の損益状況と客観的な原材料費等の値上がり状況を把握することが望ましい。県では、国や支援機関等が提供する支援ツールや相談窓口を取りまとめたホームページを作成しているため、ぜひご活用いただきたい。
【具体的な支援ツール】
①「価格交渉支援ツール」(埼玉県)
埼玉県が開発・提供している「価格交渉支援ツール」。主要な原材料費等の推移状況を視覚的に示した資料を作成することができる。愛媛県ホームページでは、県内の主要産業ですぐに活用できるようPDF化したテンプレートを掲載している。
②「価格転嫁検討ツール」(中小機構)
コスト増加分を価格に反映させたい事業者が商品別の収支状況も確認しながら、目指すべき取引価格を検討できる。
③「もうかる経営 キヅク君」(中小機構)
商品・取引先ごとの収支状況やコスト構造の変化を可視化し、価格転嫁の目安や商品戦略、事業戦略等を検討できる。
【活用方法】
▶自社の価格転嫁の進展状況を②や③で把握し、進んでいないのであれば①のデータを客観的エビデンスとして交渉の際にご活用いただきたい。"
松山市産業経済部 ふるさと納税・経営支援課 副主幹 / 内山 茂樹 氏、主任 / 池上 亨彦 氏
【賃上げ応援奨励金制度の背景】
▶本制度は、地方でも賃上げ機運が高まり始めた2023年度補正予算で成立、2024年1月から第1回募集を開始した。当時は全国的にみても賃上げを直接補助する制度はほとんどなく、松山市としても賃上げに特化した奨励金は初の取り組みであった。
【初年度の実績】
▶初年度は3回の募集で5,000人分の予算確保に対して約8割を消化しており、事業としては一定の成果がみられた。また、申請があった企業の平均賃上げ率は5%を超えるなど、賃上げ促進にも効果があったと考える。
【2025年度の取り組み】
▶2025年度も同規模、同基準で実施し、4月25日から申請受付を開始した。あらゆる業種で賃金の底上げを図りたいとの考えから、今年度は対象者に特定非営利活動法人等を追加している。"
おわりに
これまでの低成長・低賃金の時代と異なり、人件費の増加見通しが続く環境下にあっては、今後、企業収益による対応力の差がより明確に表れてくる可能性がある。今回、負担の有無によって対応策の違いがみられたように、企業には、価格転嫁の進展による原資確保に向けた短期的な取り組みと、生産性の向上など長期的な視点からの取り組みによる収益力強化が不可欠である。短期、長期両面からの取り組みが県内企業の稼ぐ力の向上につながることを期待したい。
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